アニメ作品『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』と
ヒューマンビートボックスとの接点とは
そもそもヒューマンビートボックスを語るために、なぜにアニメ作品を持ち出す必要があるのか、不思議に思う方は多いでしょう。私もその一人でした。初めに少しだけこのSFアニメについて触れておきます。
『攻殻機動隊STAND ALONE COMPLEX』はSFアニメで2002年にスカイパーフェクTVで初放送されて以来、2016年まで数々の媒体でシリーズ化されています。原作は士郎正宗で、漫画『攻殻機動隊』や押井守による映画『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』とは、時代設定や主人公草薙素子を含む登場キャラクターの設定、ストーリーに相違点があり、本作は第三の「攻殻機動隊」とも言われています。(Wikipediaより)
どんなストーリーなのかはここでは割愛しますが、いつでも、どこでも、だれでも高度に発達したインターネット(情報化)にアクセスできる社会が背景にあるということだけは確認しておきます。
さて、今回のコラム(動画)で話題とするのは『攻殻機動隊』作品そのものではなく、「スタンドアローン・コンプレックス(STAND ALONE COMPLEX)」という概念です。スタンドアローン・コンプレックス(STAND ALONE COMPLEX)とはこのアニメの中での造語であり、直訳すると、「孤立した個人(STAND ALONE)が全体として行動(COMLEX)する現象」という意味になります。この「孤立した個人(STAND ALONE)」と今日のビートボクサーの存在との間には共通点があると、すらぷるためさん(以下、すらぷるさん)は持論を展開します。
STAND ALONE COMPLEXという概念と今日のビートボクサー
高度にインターネットが発達した社会においては、一つの情報を独立した個人が同時に受信し、その結果、集団が同時多発的に行動するという現象が現れ、このような現象を「スタンドアローン・コンプレックス」と作品中で称しています。元々「スタンドアローン」とはIT用語であり、コンピュータや情報機器などがインターネットやその他の機器と接続されずに単独で動作している状態を示しています。すらぷるさんはこのような状態に置かれた人間について、繋がりのない人間なのに、気づかないうちに情報が共有され、同時多発的に同じ行動が発生するという現象が起こることがアニメの中で描かれている点を挙げ、その姿がまさに今日のビートボクサーの姿なのではないかと指摘しています。
情報だけが並列化されていくスタンドアローンなビートボクサー
すらぷるさんによれば、ヒューマンビートボックスの世界では、合法的な“ぱくり”が認められると言います。「ぱくる」とは、「盗用する」ということを意味します。あまり良い意味では使用しません。数年前、ある国で出来損ないのミッキーマウスがお出迎えするディズニーランドそっくりの遊園地が出来て話題になりました。あれはまさしく盗用です。では、ヒューマンビートボックスにおける“ぱくり”とはどういうことを意味するのでしょう。
インターネット上には、ヒューマンビートボックスに関する情報が溢れています。そして、ビートボクサー同士が様々な音の種類や奏法に関する情報を共有しています。共有されるのはそれだけではありません。グルーブ(groove)や演奏作品までもが共有されます。ただ、使っている“オリジナルな道具”(=声)がみんな違うので、それは“ぱくり”には該当しないというのが、すらぷるさんの考えです。そして、仮にそれが歌だとしても、歌詞は言葉(=記号)なので共有されても、声はみんな違うので丸ぱくりにはならず、歌詞という“万人が利用できる道具”のみに著作権が発生するとすらぷるさんは考えています。
これは音楽全般に言えることです。同じ楽譜(=万人が利用できる道具)を使って異なるオーケストラで演奏される作品を、使っている楽譜が同じだからといって“ぱくり”だなどと言う人はいません。むしろ同じ楽譜でどんな演奏の違いが聴けるかが楽しみの一つにもなります。
そう考えると、ヒューマンビートボックスの場合、どれだけ他人の演奏を真似ようが、その発音体である声(身体)が“オリジナルな道具”なので、“ぱくる”という状況が発生しないというのは納得できます。ただし、ヒューマンビートボックスに関しては、初めてその演奏に触れたのがインターネット(YouTube)だったという人が多く、様々な情報がいわば「バサッ」と降ってくる環境にあり、その情報が別々の場所にいる“スタンドアローン”なビートボクサーに同時に共有される状況が作られています。と同時に、「この奏法はこのやり方でいいんだろうか」「自分はこれが好きなんだけれどみんなはどうなんだろう」という疑問や思いは共有されにくく、ただ真似るための情報がどんどんオススメ動画などで押し寄せてきて、ビートボクサーを画一化していくことになるという懸念があります。
スタンドアローン・コンプレックスが情報の並列化を加速させる
スタンアローン・コンプレックスは独立した個人が繋がりをもたない状態ですから、似た現象はインターネット以外、視聴率が高ければテレビでも起こり得ます。例えば、1970年代のオイルショックでは、人々がスーパーでトイレットペーパーの買い占めに走る様子がテレビで報道されたことをきっかけに情報の並列化が加速し、全国的にトイレットペーが品薄になったことがありました。これはテレビというメディアが一斉に情報を送信し、その結果同時多発的な行動が生じた例です。このようにインターネットに限らず様々な受動的なメディアを通して、情報の並列化(皆が同じ情報を得ること)によって同時多発的な行動が起こることがあるのです。
一方、インターネットは自分で情報を取りに行っているという感覚になるため、一見すると能動的なメディアで情報を収集しているように見えます。しかし、そこには落とし穴があります。それは、オススメ動画、オススメ商品は自分専用にカスタマイズされて情報が知らず知らずにが提供され、能動的な情報収集だったと思っていた自分の行動がいつの間にか受動的な情報に"汚染”されている可能性があるのです。
本来自分が目指していた音楽性や自分の知らなかった音楽を知るチャンスになるのなら、視野が拡大するので喜ばしいことなのですが、このようなオススメ機能によって、情報はさらに並列化されていくのではないかと懸念を抱きます。
ヒューマンビートボックスに関する情報収集はインターネットが多いので・・・
能動的ではなく、実は受動的だったのかも!
→ではどうする?答えを求める前に、すらぷるさのこれまでの動画を振り返ってみましょう!
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yuki (土曜日, 20 3月 2021 23:55)
こんばんは。河本様。
ヒューマンビートボックスの世界では、合法的な“ぱくり”が認められると言います。と書かれていますが、確かに音楽世界では、似たような事例が多いですね。
これはもう、新しい曲やフレーズが過去に出尽くして、今までに作られた曲の、アレンジが今は行われるといっても過言ではないでしょうか??
僕の持っている本で、素人はその曲を真似るが、プロはその曲を盗む。と書かれている本があります。
盗んだ曲は、もうその人自身のもので、だれも真似したとは言われないという事です。
また、不思議と盗まれた曲は、その盗んだ人の感性が入り、前の曲よりも良くなっている場合があります。
そうやって、ビートボックスや音楽も、常に新しい音を作り出していくと思います。
桑原まや (火曜日, 23 3月 2021 09:41)
動画第7回でコメントさせてもらった桑原まやです。
今回のテーマは、
①ビートボクサーさんに対しては、スタンドアローンコンプレックスの概念による懸念
②視聴者(ファン)に対しては、SNSで自力で情報収集しているつもひりになっている危うさに気づいて使いましょう
という事ですね。
あと、
「人間の声で人の歌詞を歌ったり、同じ楽器で楽譜を演奏するのも、完全なパクリではない」と、河本先生とすらぷるためさんは言っておられました。そこのところ、理解できました。
それでは、失礼します。
河本洋一研究室 (水曜日, 24 3月 2021 14:09)
すらぷるためさんの考察って、本当に面白いですね。スタンドアローン・コンプレックスという概念は、コロナ禍においては、さらに強力な姿を現していると思います。
極端な話、必要最低限の人以外は「引きこもり」を推奨している状況がいまの状況です。一体、どれくらいの人がひきこもれるのか、壮大な社会実験にも見えます。でも、実際は引きこもれていませんね、どんどん人出も増えています。
多くの情報が受動的になら獲得可能であることが、大学の遠隔授業でも証明された感があります。決して、受動的=悪、能動的=善という単純な対立構造だとは思いませんが、当たり前のことが、本当に当たり前であってよいのかということを見直す機会が訪れていると思います。