もしも音楽の先生になったとしたら・・・
「学校の音楽の先生に着任したとすると、どのようなことをしてみたいですか。」という問いをお二人に投げかけでみました。
KAZZさんは、ドラムセットの基本の音である「キックドラム、ハイハットシンバル、リムショット」この三つの音を出すことに挑戦してもらうと言います。あくまでも、細かなことがどうこうではなく、その雰囲気が出ていればいいという程度の音です。そして簡単なリズムを組み立てることを体験してもらうのです。その時に、大切にしていることは、
身体を動かしながらリズムを感じてもらう
という点です。そうすることによって、リズムのグルーブ感や楽しさを身体全体で感じてもらう、リズムというのは身体から自然に発せられるのだということを感じてもらうということです。
一方、AFRAさんは、「音楽先にありきのビートボックスなので、音楽を楽しむということが前提にないと、ビートボックスに行きにくい」と言います。ただ、音楽先にありきと言っても、結果的に表現された形がお笑いに取り入れられたり、声帯模写や効果音のような、音楽とは違う“音”を使った表現に繋がってくることも否定しません。そういう飛躍や、目的があることもビートボックスの面白さだと言います。
音楽をしたいという気持ちなどの思いが先にあること
ヒューマンビートボックスやヴォイパの存在は音楽に限定されなくてもいい、模写であっても他の芸術や芸能との融合であってもよいのです。そのような音・音楽を使って表現(外へ出していく)していきたいという気持ちを育てることがとても重要だということを、お二人との鼎談を通じて私(筆者)は感じました。
このような考えに対して、KAZZさんは「ビートボックスやヴォイパはこういうモノだから」という理由で、表現の幅を狭めて欲しくないと返します。幅を狭めるというのは、例えばこういうことを意味します。
「ドラムセットをイメージするけど、ドラムセットではないから」(笑
この言葉には、AFRAさんも私も大爆笑でした。AFRAさんも「どっちやねん!」と突っ込みを入れていました。それはそうでしょう。ドラムセットの音を教えているのに、ドラムセットではないからなんて言われたら、生徒さんは「えっ?」ってなりますよね。でも、この言葉にKAZZさんのヴォイパに関する本質的な姿勢が現れていると思うのです。これでビートボックスやヴォイパの基本的な音が直ぐに出せてしまうのなら面白さは半減します。適度な難しさがあるからこそ、音を出せたときの喜びもあるし、次への挑戦への気持ちも出てくるわけです。そして、KAZZさんが指導しているア・カペラグループの中でヴォイパを担当している人は、そのグループのリーダーになることが多いと言います。
さて、その理由とは・・・(是非、動画の中でご確認ください)
好きな音楽で新たな発見へと導く
音楽ってそもそも「教える」っていうよりも、色々と気づいてもらって自ら育っていってほしい・・・そのためのツールあるいは体験として、ヒューマンビートボックスやヴォイパというのは最適だと考えます。私(筆者)のこのような考え方に対し、AFRAさんも、AFRA&INCREDIBLE BEATBOX BANDというグループで活動しているときに、同じ事を感じていたそうです。「こうしてくれああしてくれ」と言うよりも、しっかりとしたビートが刻まれていることによって、そこに周囲のプレイヤーが色々と感じて表現を加えていく・・・このような非言語的な関わりができることも、ビートボックスやヴォイパの可能性の一つだと私は考えます。
一方、AFRAさんが実施しているワークショップや教室では、音の出し方を直ぐに教えるのではなく、“耳コピー”で「この音ってどうやってだしているのでしょう。」という投げかけをすることがあると言います。自ら発見していくという楽しみですね。何でも最初から教えすぎるのではなく、発見する過程自体も楽しみにしてしまうというAFRAさんの指導姿勢は、音楽に限らず「教えることに傾注しすぎることによる弊害」という日本の学校教育の問題にも通底する発言でもあります。
発見へと導くためには、まずは自分の好きな曲をもってきてもらうことが重要であるとAFRAさんは言います。好きな曲だからこそ、興味が持続するし、新たな発見があることへの喜びも倍増するわけです。好きな音楽を用意させるということがミソです。そして、AFRAさんは、様々な音楽のスタイルについても、説明するのではなく実際に体感してみることの重要性を指摘します。それを、AFRAさんは次のように例えます。
甘い物は、「甘い」と言うよりも、舐めさせてみる
「うーん、甘い」じゃなかった、うまい!
なるほどと思わせる例え話です。「百聞は一見にしかず」と言われますが、音楽の様々なスタイルに関しては身体全体で体感させることが重要であるという点は、KAZZさんとAFRAさん両名に共通する考え方です。このことを、甘い物に例えたAFRAさんの言い回しは、まさに“言い得て妙”と言えるでしょう。
(1st Season:後編終了)
【予告】
AFRAさんとKAZZさんの対談は、このお二人に杉村一馬さんを加え、2nd Seasonでさらに深い話題へと掘り下げていきますので、どうぞお楽しみに!
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yuki (水曜日, 10 3月 2021 23:21)
こんばんは。河本様。
甘いものは甘いというよりも、舐めさせてみる。実に名言ですねぇーーー。
会社でもそうなんですが、新人を育てるには、何回も口で教えるのではなく、実際に、それをやらせないと、その物を理解した事にはならないんですよね。
実際、僕らも新しい機械が導入されたら、やはり実際にいじらないと、わからないですからね。
これはビートボックスの限らず、人に教える事の根本の話ではないでしょうか??
さてさて、身体を動かしながらリズムを感じてもらう。という言葉なのですが、昔、黒人は字が読めない為、楽譜が読めずその音楽を覚えるには、いったん自分の耳に入れて、体でリズムを刻みこんで、耳でコピーをして覚えていった。
そしてそれがJAZZの発祥になったという、という話を聞いたことがあります。
ビートボックスもまた、JAZZのように音楽家の魂が宿っているのでしょうね。
桑原まや (木曜日, 11 3月 2021 01:43)
はじめまして。
【動画新企画】Zoomトークによる試論を読ませていただきました。
河本先生が研究されているビートボクサー・ヴォーカルパーカッショニストの方々との対話を一般人に公開して下さってありがとうございます。
以前、河本先生が「実演芸術をプロにする人」「実演芸術をアマチュアとして楽しむ人」「周りで支えるスタッフ」「それを鑑賞することにお金を出す人」「それを文化として語る人」「その環境を提供する人」等。そして、そこに、それぞれの立場の幸せと、互いの幸せをもたらしてくれたことによる対価としてお金が環流し、だからこそ、それに関わる人が生活していくことができるわけです。とおっしゃられていました。
しかし私は地方に住む、ストリートでアウェイな視聴者です。そういう場合、どのようにすれば環流されるのかわかりません。スパチャもできません。配偶者にカードを持たせてもらっていません。
この【動画新企画】3月末まで公開予定とのこと。2ndSeason(予定)、ぜひ公開して下さい。
一般人の私でも何か考えて、何か名案が浮かぶかもと思えるのです。よろしくお願いします。
河本洋一 (金曜日, 12 3月 2021 23:10)
◇yukiさん、まやさんコメントありがとうございます。
お二人のコメントに共通するのは、これからの社会の人間通しの関係性の構築はどうなっていくのかという点にあると思います。そういった意味では、2nd Seasonで話題になる、すらぷるため氏による「スタンドアローン・コンプレックス」という考え方は示唆を与えてくれると思います。
◇まやさんへ
確かに、地方に住んでいると「ストリートでアウェイ」という状況は起こります。だからこそ、すらぷるため氏の言う、現代のストリート文化はインターネットにあるという言説は興味深い捉え方だと思います。
スパチャに関しては、クレジットカードではなく、クレジットカードブランド付きのデビッドカードで可能なはずです。出始めの頃のデビッドカードと違い、今のデビットカードは使用感はほぼクレジットカードと同じ。違うのは口座残高内の即時決済というだけですね。あとは、ネット専用のプリペイドクレジットカードもあります。そう遠くない将来に、バイノーラル音源でVRゴーグルをしてライヴを楽しむなんていうインターネットライブも始まるでしょう。ハコ物に行政がお金をつぎ込んでクラシカルな文化を守るのと、民間レベルでインターネットとの親和性が高い文化を育てていくことは、攻守混交の文化発展スタイルの一つの考え方としてあり得る方法だと私は考えています。
そんな話も飛び出す2nd Seasonも是非お楽しみに!
桑原まや (土曜日, 13 3月 2021 22:48)
河本先生、返信ありがとうございます。
行政と民間、自分がどうしたいのか?
これからも研究室に勉強に来ます!