◇本物を知る希少な存在 ビートボクサーAFRA
「Rahzelの超人的凄さに触れ、ビートボクサーを目指した」
日本人初のビートボクサーAFRAは、必ずと言っていいほどRahzelとの出会いをまず口にします。HipHopに興味をもっていた、当時はまだ高校生の藤岡少年(AFRA)は、大阪で聴いたRahzelの生演奏に大きな衝撃を受けました。
「楽器が要らない、身体一つでここまでできるのか」
元々HipHopに合わせてダンスをしたり、ラップの真似をしたり、DJを目指したいと思っていたことも・・・そういったストリート文化に憧れを持っていた中でのRahzelの来日は、藤岡少年をビートボクサーAFRAへと導く“トリガー”となりました。ラジカセ(ラジオカセットレコーダー)を片手にライブを録音し(当時は寛容だったんですね)、それを何度も聞き返しては、「どうやって音を出しているんだろう」とあれこれ試してみたというAFRAは、次第にビートボクサーになりたいという思いをどんどん大きくしていったのです。「今でも、ループステーション(次々に音を重ねていくことができ一人での多彩な演奏を可能とするサンプリングマシンの一種)やグループでの演奏もしますが、やはり、根本にはRahzelという超人的なビートボクサーの存在がある」とAFRAは語ります。
◇ビートボクサーAFRAから表現者AFRAへ
自分の声(口)だけでできる表現の方法としてのヒューマンビートボックス、その魅力を語るAFRAではあるが、ラップも好きだし、自分は絵を描くことも好きだし、その中でヒューマンビートボックスをメインに活動している表現者という認識が最近強くなってきていると言います。(ご本人は40歳くらいになったからかなぁと笑っていました)
自分の気持ちを表現する媒体としてヒューマンビートボックスがある、それが仕事になるかならないかというのはまた別の話だとも語っていました。
◇スキルはある、ではそれで何を表現するのか
AFRAは、「今の若者はすでに技術をもっている、いわば、もう絵の具と筆をもっている状態だ」と言います。その絵で白いキャンバスに何を描くのか、今は、YouTubeやInstagramの急速な普及で、若者達のスキルは飛躍的に向上しています。では、そのスキルで何を表現するのか、それがとても気になるとAFRAは語ります。
◇阪神淡路大震災とKAZZ
一方、KAZZはライブ活動を軸に神戸を中心に活動してきたヴォーカルパーカショニスト(いわゆるボイパ)の第一人者です。阪神淡路大震災を大学生時代に経験し、復興屋台村でア・カペラに合わせてボイパを演奏し、
「それまで曇っていた人々の表情に笑顔が戻ってくることを実感したことが、今でも活動の原点になっているです」
と熱く語ります。防災士の資格ももつKAZZは、講演依頼も多く、防災に関する多彩な活動にボイパを取り入れ、今はBloom worksというユニットで活動している。
◇ボイパは歌だ!
ア・カペラの中では、一見するとドラムセットの単なる模倣パートとしてリズムセクションを請け負っているだけのイメージをもたれる方も多いと思いますが、KAZZは、「ボイパは他のパートど同じく、歌の一部だ」と言い切ります。それは、AFRAと同じく、表現者としてのKAZZがいます。元々はロックバンドのヴォーカルをしていたというKAZZは、とにかく“人をノせる”ことが大好き。それが彼の喜びであり、聴き手の幸せでもあったのです。
当時は、まだボイパという言葉すら日本では認知されていない時代、KAZZは試行錯誤をしながら自分の音を創っていいったのです。
◇ビートを刻めば勝手に身体が動き出す
結局、ヒューマンビートボックスとヴォーカルパーカッションは成立してきた歴史的背景は異なるものの、人々を楽しませるエンターテインメント性という点においては同じであり、身体(口)を使って音楽をするという点においても一致しています。それが、ストリートで発展したか、教会の中で歌われるようになったか、大学のサークル活動に定着していったかなどの枝葉の部分の違いはあれど、やはり、身体一つでここまでできるという可能性を実感する音楽としては、この二つの音楽表現は、ビート感が命なのだと言えるでしょう。
◇ヒューマンビートボックスとボイパの境目は必要か
元来成立してきた背景が異なるこの二つの音楽表現は、今、境目が無くなってきている(シームレス化)とAFRAとKAZZは口を揃えます。日本にまだヒューマンビートボックスという言葉もボイパという言葉も知られていなかった時代※に、身近に手本とする人がいない中で自分たちのスタイルと創り上げていった二人には、別々の土地に咲く同じ花のような印象をもちます。
※時代的にはヒューマンビートボックスという言葉の方が国内では初出が早く、1984年に発売されたFATBOYSのLPレコードの解説に出てきます。ボイスパーカッション(世界的にはヴォーカルパーカッションが正しい)の初出については、諸説ある。
この二つを分ける必然性が無くなってきているのではないかというのは、AFRAとKAZZの表現者としての貪欲かつ真摯な姿勢が現れていると感じます。ヒューマンビートボックスとヴォーカルパーカッションのシームレス化はYouTubeで初めてこれらの音楽表現を知った若者にとっては、もはや話題にすらならないことなのかもしれません。両者の違いを意識すればするほど、互いの音楽性は硬直化していくかもしれないと、AFRAは警鐘を鳴らします。これは私も全く同じ立場をとっており、
違いを認めつつも境目を作らないという姿勢
これは、音楽の表現者としての新たな可能性を広げ、聴き手にとってもさらに楽しみが増えることに繋がるのではないかと考えます。
◇マスコミ(バラエティ番組)で拡がったボイパとYouTubeで拡がったビートボックス
拡がり方には明らかにちがいがあります。ボイパはあるテレビ番組のコーナーでブレイクしました。この辺りの話しは杉村一馬氏『ボイパを論考する』で詳述されています。ボイパはア・カペラ文化に乗って、ライヴ一方、ヒューマンビートボックスはボイパとは違った拡がり方をしました。インターネットが無ければ拡がらなかったかもしれません。それくらいインターネットとヒューマンビートボックスとは密接な関係にあります。チュートリアルが多いのもヒューマンビートボックスの特徴と言えるでしょう。ヒューマンビートボックスをライブ(ストリート)で聴いたことがあるという人はごく少数でしょう。
「与えるのではなく、引き出す」 さて、この意味は・・・
※本コラムで取り上げられている写真は、全て初回の緊急事態宣言が発出される以前のものです。また、会食や聞き取り調査の飲食には科研費は一切使われておりません。内容は、1月10日に実施されたZoomトークに基づいています。
コメントをお書きください
yuki (土曜日, 27 2月 2021 23:36)
こんばんは。河本様。
またまたコメント失礼致します。
僕のバイブルである湾岸の中でも、0から1と 1から2は 全然違う。それが平凡で当たり前のことでも 自分で見つけた1は特別な1なんだ。というセリフがあります。
0から1を作り上げたビートボクサーの先駆者は、並々ならぬ努力と苦労があったかと思われます。
だからこそ、次世代のビートボクサーは、簡単に1から2を作りあげる行為ではなく、0から1を作りあげる大変さと同じ以上の、努力をしていかなければいけないのでしょうね。
体一つで音楽を表現できるビートボックスは、常に苦しい時にも心に光を灯してくれる存在なのでしょうね。
河本洋一 (土曜日, 10 4月 2021 10:22)
0から1と、1から2は全然違う、そして、0から1を創り上げる大変さというご指摘は、確かにそうですね。そして、0→1→0となった場合に、もう一度立ち上げること、これがさらに大変だと私は考えます。細くてもいいから、続けること、どんな困難な状況でも流れを止めないことが大切だと思います。一度さび付いた歯車を動かすくらいなら、新しい歯車を作った方がいいのと似ていますね。文化の営みも、そうなのかもしれません。