※このブログは書き下ろしです。
◇韓流エッセイに先入観をもっていた私
「韓流エッセイなんて・・・」
きちんと読んだこともないのに、“現実離れしていてオッサンが読むような内容ではない”というのが韓流エッセイに対する私の勝手なイメージでした・・・“その人”からの知らせがあるまでは!
ある日のこと、LINEにまさに韓流エッセイの文章の一部が引用されて届いたのです。
「今日読書をしていたら、河本先生がおっしゃっていた言葉と似た文章を見つけました! 特に意味はありませんが思わず、河本先生にお見せしたくてつい(LINEを)送ってしまいました笑 言葉には素敵な力がありますね!いつでもこのページを開けるように付箋を貼っておきました~」
◇書店へ向かい迷った挙句の即買い
気になるLINEのメッセージでした。 早速、コーチャンフォー・ミュンヘン大橋店(郊外型大型書店)へ足を運び、パラパラと斜め読みをしてみたものの「やはり若者の純愛本、私みたいなオッサンが買う本じゃないなぁ。」と思い、一度は本を書棚に戻しました。でも、柔らかな色使いの挿絵、心に染み入るような見出しが気になり、気づいたら戻した本をもう一度手に取り、今度は前書きの部分をきっちり読んでいたのです。若者のような恋愛からは程遠い一介のオッサンが!(笑
「世の中の人間関係は、友人や恋人といったひとつの単語では簡単に説明できないものが大半です。その中には、別れたけれど今も変わらず愛情を持ち続けている関係のように、言葉では説明のつかないことだってたくさんあります。どうか本書がそうしたこの世のあらゆる感情や人間関係に静かに寄り添えたら ー と願っています」
前書きにあった「この世のあらゆる感情や人間関係に静かに寄り添えたら」という部分で、即買いしました。(もちろん、私費ですよ)
◇私の言葉との共通点と舞い降りてくる言葉の数々
“その人”が思い出してくれた「河本先生がおっしゃっていた言葉」とは、
「起こってもいないことで悩まないで。やり損じは気にせず、やり残しを悔いなさい。」
という日高晤郎さんの言葉をアレンジしたメッセージでした。このメッセージがコロナ禍で不安感が増していた、“その人”の記憶に残っていたのです。
その頃(10月下旬)は、私も心に闇を抱えていた時期でした。作者や翻訳者の力量もあってか、このエッセイ本は若者の純愛エッセイという体裁を成していながら、パリッと割れそうなくらいの薄氷の心に、ひらひらと舞い落ちる桜の花びらのように言葉が降ってくる・・・そんなエッセイ本のように私には映ったのでした。専門書か自己啓発書、ビジネス書に慣らされている私は、“その人”に紹介されなければ、コーチャンフォーに足を運んでもこの本には目が留まらなかったことでしょう。
◇様々な感情や人間関係に寄り添うということ
友人、恋人、夫婦、きょうだい、家族、同僚、師弟・・・様々な人間関係の中で私たちは生きています。この本を紹介してくれた“その人”は、このエッセイ本で言う「あらゆる人間関係」の中の一人です。でも、それはどんな括りで語ればよいか私にはわかりません。でも、それでいい、むしろ、その関係性を無理に言い表そうとすることは、この本との出会いを、以前から感じていた「韓流エッセイなんて・・・」という感覚に引き戻すことになるかもしれないのですから。
私たちは、他人に何かを伝えようとする時、言葉や表情を用います。でも、Aという言葉とBという言葉を合わせて使ったからといって、A+Bという意味を成すとは限りません。このエッセイ本もそうでした。確かに語られているのは二人の若い男女の恋愛話、出逢いがあって、別れがあって、恋愛ならではの切なさがあって、そしてその主語が「僕」で書かれていて。なのに、その日の自分の状況によって様々に読み取れる“詩”のような筆致で、世の中にある様々な感情や人間関係に寄り添うことが書かれている、そんな不思議な感覚を人々に与えるエッセイ本でした。
◇人は言葉によっても救われる
言葉には人を勇気づけたり慰めたりする「力」があります。ただ、このエッセイ本の言葉には、そのような自己啓発的な「力(ちから)」ではなく、読む人の心に「寄り添う力」が備わっているという言い方をした方がしっくりきます。「寄り添う」とは、身体的な寄り添いだけではありません。言葉は時と距離を超え、心に対しても寄り添うのです。映画『インターステラー』の中でも次のような一節があります。
「親は(死んでも)子どもの中で生き続ける」
ジョセフ・クーパー役(マシュー・マコノヒー)
身体的な寄り添いと、心の寄り添いを象徴的に表した名台詞だったと私は思っています。
書評や販売促進のコーナーではないので、紹介してくれた本の書名は伏せておきます。ただ、そんなエッセイ本と出会えたこと、そして、その本を紹介してくれる人がいたことに、私は今の仕事をしていて良かったと素直に感謝しました。
さて・・・
“その人”なる人物は、本学の1年生。何気ない日常の中で小さな幸せを感じることが上手な、お嬢さんです。直接お話しする機会がほとんど無かった遠隔授業ばかりの2020年。そんな状況下でも、こんなに“詩的”な出会い”があったのです。
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