生意気な学生を育てよう!

※2016年9月27日のブログを加筆修正しています。

 

◇学生を思考停止させる回答の仕方

 わくわくフェスティバル(当時:学生ミュージカル)の準備が本格化するこの季節、学生からの「・・・はどうしたらいいですか。」という質問が増えてきます。このような質問に、私はつい、「これはこうしなさい。」と即答してしまったり、「これは・・・だから、このようにしなさい。」と、学生に気づきを与えずに結果のみを与えてしまったりすることがありました。(過去形)

ただ、このようなアプローチが繰り返されると、学生はどんどん自分で考えずに思考停止状態に慣らされていきます。そして、直ぐに答えをくれる先生や学生の代わりに気づいてくれる先生が〈良い先生〉という構図ができあがります。

 

◇ダメダメ指示語の効用

 もうこうなると、自ら考えることを放棄し、「あれはダメ」「これもダメ」「こうしなきゃダメ」という〈ダメダメ指示語〉で出来上がった先生に育てられた先生の卵として学生は拡大再生産され、世に送り出されます。確かに、これはこれで一定の教育効果はありますし、このような先生を全否定するつもりはありません。ただ、〈ダメダメ指示語〉の環境下では、独創的な発想、面白い取り組み、アイディアに溢れた教育方法は生み出されにくいでしょう。

 

◇スーパーティーチャーが一人いればいい世界は来るか

 教員が教えられることは限られています。ましてやインターネットがこれだけ発達した社会では、教員が教えていることは既に陳腐化している可能性だってあります。単に知識を伝えたり理解を促すだけの教員なら、早晩、AI(Artificial Intelligence:人工知能)で事足りる時代が来るかも知れません。いや、知識や理解の領域の教育なら、むしろAIによる〈機械教師〉の方がわかりやすくて的確な指示語による教育が可能であるとする考え方も現れてきています。

 ですから、生身の人間である私は、〈機械教師〉にはできないことは何だろうかと最近よく考えるようになりました。そして、辿り着いた月並みな考えは、AO面談(現在は総合選抜型入試)の時のように学生と接してみようということです。そう、実は今の季節(秋)になると、多くの受験生と懇談する機会に恵まれ、その時に合言葉のように語られるのが、「AO面談は、一問一答の面接ではない。」ということなのです。

  でもその面談も、いずれはAIに置き替えられる可能性もあります。面談すればするほど、様々なパターンが蓄積されていき、数十人分以上の面談担当教員のノウハウが活かされる、そんな時代はもうすぐそこまでやってきているのかもしれません。

 

◇物言わぬ学生よりも礼儀のある生意気な学生を

  「疑問に思うこと、おかしいなと感じることがあったら発言しなさい、たとえその相手が先生であっても、説得されていると感じたら、納得するまで対話しなさい。」こういうことを実際に行う学生は、少々生意気な学生に映ることでしょう。私は思うのです。挨拶は大事です。でも、形だけの敬語や丁寧語なんて要りません。必要なのは、その中身です。

 

 高校生までの関係性が影響しているのでしょうか、学生は怖くて質問できない先生がいると言います。そして、どんんどん物言わぬ学生となっていくのです。そして、そのまま社会人になり、労働力のみを搾取されていくのです。

 受験生や学生の発想や疑問そのものが正しいか正しくないかはともかく、どのような思考を経てそのような判断したかを、自信をもって語ってくれる学生がいると、本当に嬉しくなります。そのような若者の姿は、少々生意気に映るかも知れません。

 でも、いいじゃないですか。そのような発想や疑問の過程を知ることが、私たち教員の務めではないかと思うのです。礼儀は必要です。でも、生意気さも、青年期の一つのパワーの源へと昇華する、そう思いませんか。

 

 学生のそんな生意気さを受けとめられる大きな器を、私達大人はもちたいものです。