「先生、教科書の表のコピーをノートに貼ってもいいですか」

※2016年7月25日のブログを加筆修正しました。

 

 大学は冬休み明けに試験のシーズンに入ります。今年はほとんどが遠隔授業だったので、私が担当する『子どもの音楽(応用)』の試験は、授業終了後の補習(自学自習)ページを作成してフォローをしています。この科目の試験はマークシート方式です。ノートを持ち込んでもよい試験なので、毎年次のような質問が必ず出てきます。

 

 学生:「教科書の表をコピーしてノートに貼ってもいいですか。それとも、手書きでなきゃダメですか。」

 

 このような質問を愚問と言ってはいけません。

 

 「一人の質問、みんなの声」

 

 経験的に130名(2016年当時の1学年当たりの人数、今は80名)のうち、3名から同じ質問が出てきたら、これはかなり多くの学生が抱いている質問です。うまく取り上げれば、学生は、テストの点数を取るだけの勉強から、本質的な議論へと一歩前へ踏み出ることができます。

 しかし、質問に対する回答の仕方を間違えると、学生は思考停止状態に陥ります。例えば、こんな答え方です。

 

 先生:「教科書のコピーを貼るなんてとんでもない。苦労して写し書きしなさい。」

 

 →学生は、「ああ、やっぱりなぁ。楽をしようと思ったけど、減点されそうだからやめておこう。」と感じて、“教科書手書き写しマシーン”に変身します。でも、書き写しただけで、時間を浪費する割には、何の為に表を写したのかがよくわからない、というのが実情でしょう。

 

 先生:「教科書をコピーしようが、手書きにしようが、自分のノートなので、あなたの自由です。」

 →一聴すると、いい感じに聞こえますが、この答え方だと、作業が楽かどうかだけで判断してしまいます。そもそも、その表は何のために必要なのか、どう使われるべきかといった問いかけがないので、学生の思考は深まりません。

 

 私は、コピーした資料のノートへの貼り付けの質問には、いつも次のように答えています。

 

 私: 「コピーを貼り付けても、手書きにしても、それは自分の勉強の足跡ををノートに記しただけのこと。手書きの方が〈勉強してる感〉があって、いわゆる〈先生ウケ〉が良さそうだけれど、結局、何のためにその表が必要なのかが分かっていれば、コピーだろうが手書きだろうが構わないのです。何の目的のために、どんな目標でそのノートを作るのか考えれば、自分にとってベストなノートとはどうあるべきかがわかると思いますよ。」

 

 スマートフォンの普及で、先生の板書をそのまま〈写メ〉って終わりという学生も出現しています。(注:禁止している先生もいます) 人の話を聞きながら、ノートを作成していくという作業は、実はとても高度な技だと思います。今年(2020年)の授業評価アンケートでも、「何をノートに書いたらよいか、指示をしてほしい」という声が届きました。
 授業の構成を的確に整理して板書(今はホワイトボードを使用)してくれる先生は学生の救世主です。そして、そのような先生の板書を〈写メ〉することは、画期的です。ノートという成果物を短時間で完成させるという点においては。

 

 学生:「それで、結局、教科書のコピーの貼り付けは、いいのですか、ダメなのですか」(イラッとした感じで)

 

 私:「ノートって、今じゃなくて、あとで使う物だから~どうせなら卒業後も使えるノートを作ってみたらどう? 表のコピーはもちろんOK、ただ一手間加えてみると、いいんじゃないかなぁ。それよりも、どんな目的でそのノートを作るのかを最初に決めてから作った方がいいよ。試験の点数を稼ぐためなのか、授業の記録なのか、保育のアイディア帳なのか・・・」

 

 心配なのは、このような類の判断を、これまでも自分ではなく、いちいち先生に判断してもらっていたのかということです。まるで「先生、この髪の毛の色、いいですか」「先生、このスカートの丈、短くありませんか」

 

 そんなことに答えるのが先生の役目かっ!

 

「地毛登録」という差別的な申請制度がまだ残っている高校もあるそうです。「ノートに表のコピーを貼ってよいか否か」の質問は、学生にとっては質問ではなく、生徒指導的許可の「申請」だったのかもしれません。